出馬時表明

参議院議員選挙
出馬時の決意文

エイズ発病の不安。次々と友人が薬害エイズで殺されていく悔しさ。怒り。薬害エイズの裁判に加わり、なぜ自分がHIVに感染させられなければならなかったのか、いったい誰に責任があるのかをはっきりさせたいと思いました。
国と製薬企業を相手にした裁判は勝てないと言われていても、なんとしても勝ちたいと思いました。
また、差別の中で隠れて生きるのではなく、堂々と生きたいと19歳で実名を公表しました。どんな反響が起きるのかまったく分かりませんでした。でも薬害エイズを知った多くの若者が自分たちの問題として、自分たちにできることはないかと立ち上がりました。
厚生省を3500人の手でつないだ「薬害エイズ 人間のくさり」。

それは多くの人たちに伝わり、全国の人たちが動きだしていきました。そして画期的な裁判の和解へとつながっていったのです。

しかし、薬害エイズの裁判が終わっても、政治家、官僚、企業、学者・医者たちの癒着は続き、命や人権よりもお金や企業利益が優先される考え方は変わりませんでした。憲法が制定されようとしています。教育基本法までもが改悪され、もはや教育を通して理想の社会を作っていくことは今の政治・行政のもとでは困難さが大きくなってきています。
君が代を歌わなかったということだけで処分されるということが学校で起きています。辛うじて、裁判では勝訴してきていますが、憲法が変わってしまったら、どうなるかわかりません。
社会の矛盾を問題にしたビラを配っただけでも不当に逮捕されたりする事件が起き、共謀罪という基本的人権を侵す法律も国会で成立する動きがあります。

「いのち」「人権」「平和」が粗末にされ、自殺して行く人たちが一日に90人になっています。それを憲法や教育基本法が悪いから変えるという倒錯した声が政治家や企業家から出てきています。
学校現場だけでなく、社会の中で、だんだんとモノを言うことができなくなっています。このまま社会が悪い方向へ変えられて行くのを座視することはできません。黙っていられません。
薬害エイズの裁判のときもそうでしたが、国によって現実に守られてこなかった「いのち」「人権」も、憲法があったからこそ、なんとか裁判で闘うことによって国に補償や賠償をさせることができたのです。

10歳でHIV感染の告知をうけてから、人は何の為に生きているのだろうかと考えてきました。「楽しく生きたい」と思いました。でも、それは社会が平和であったり、いのちや人権を大事にする社会であってはじめて本当に楽しく生きられるということを、僕は薬害の被害にあってはじめてわかったのです。

かけがえのないいのち。それは人間の生命だけではありません。物質的な繁栄を求め続ける社会はたくさんのものを無駄に消費しています。日本の思想とも言える「もったいない」は、ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんによって世界に広められました。彼女はケニアの緑の党で、環境大臣をしています。これからは、平和の問題だけでなく、地球環境や生物の多様性を考え、持続可能な社会をつくっていく「緑の政治」が必要だと強く感じています。

自分が被選挙権のないときに、母親に選挙に出馬してもらい、国会議員の仕事を間近に経験しました。そこで無所属で一人会派でも仕事はできることを確信しましたが、難しさも知りました。一人でできることもあるけれど、政治の世界では一人の力には限界があります。仲間と力を合わせることで何百倍もの力が出せるのです。今、僕のまわりに、同じこころざしを持ち、一緒に選挙を闘い、国会をどう運営して行くのかも一緒に考える仲間がいます。

いま、何もしないで、あきらめてしまうのではなく、最後まであきらめないで生きていきたいと思います。
薬害エイズのときもそうでした。「どうせ、何をしたって無駄だ」とあきらめるのではなく、周りの人達と一緒になってとりくんできたことが、一人ひとりを動かし、その一人ひとりが行動したことが画期的な裁判の和解へとつながったのです。

あきらめなければ、できることがあります。

一人ひとりが自分にできることは何かを考え、行動することで社会を変えて行くことができます。その確信と行動が子どもたちにプレゼントできる「希望」なのです。

世界とアジアの中で、過去の歴史を見つめ、未来に希望を持って、子どもたちを育み、いのち、自然、誇りを伝えられる社会をつくりたいです。
自分だけの幸せでなく、みんなと幸せを共有する社会にしていくために、2007年夏の参議院選挙への立候補をめざして活動する決意をしました。
自分の余生を、全力で「この国」を、「この星」を変えるために力を尽くします。
どうか、みなさん一緒に実現しましょう。