議員としての決意

生きるって楽しい、
と思える日本へ

川田龍平

薬害エイズ事件を覚えていらっしゃいますでしょうか。
国が安全と認め、医者から貰った薬によって、多くの人がHIVに感染した事件です。
私自身、1986年、10歳のときに母親から薬によってHIVに感染したことを聞かされました。
治療による苦しみと、いつまで生きられるか分からない不安の中で、 人は何のために生きるのかを常に考え生きてきました。

17歳のとき、国と製薬会社を相手にした裁判に加わり、
19歳のとき、薬害エイズの被害者として実名を公表しました。
厚生省を3500人で取り囲んだ「薬害エイズ 人間のくさり」、
多くの人たちの関心がこの国を動かし、当時厚生大臣であった
菅直人氏と与党プロジェクトチームの方々のご尽力により、
薬害エイズ裁判は画期的な和解へとつながりました。

しかし、今もって、なぜ薬害エイズが防げなかったのか、
いったい誰に責任があるのかは明らかになっていません。
また、インフルエンザ治療薬のタミフルや、2007年10月に資料が発見されたと記者発表されたC型肝炎の問題など、薬害が繰り返されています。
そして、消えた年金問題と薬害エイズは、全く同じ人物によって引き起こされました。
厚生省薬務局長だった人が、その後、社会保険庁長官に天下り、今回の消えた年金問題を引き起こしました。
官僚の無責任さと隠蔽体質が、国民に苦しみと不安を与え続けているのです。

私は二度と同じ被害を繰り返さないため、この国を変えたいと思い選挙に立候補しました。
激戦の中、政党候補と互角に戦い、2007年の参議院議員選挙にて683,629票を得て当選することができました。一人ひとりの個人が行動した結果です。
たくさんの人から、「励まされた」「ありがとう」という言葉を頂きました。私自身もたくさんの方に出会えて、励まされました。
当選してからは、嬉しさよりも責任の重さを痛感しています。
衆参与野党逆転の中、参議院の存在意義が問われています。
政治全体に対する不信の中、信頼できる政治を実現するために力を尽くします。

私は自分だけがHIVの薬が飲めればいいとは思いません。
どんな人であっても生きることができ、病気であっても、歳をとっても、寝たきりになっても、
生きていて良かった。生きるって楽しいと思える社会をつくるために
全力を尽くしたいと思っています。
医療の問題だけではありません。
人としてあたりまえに生きるための、水や空気やふだん口にしている食品の安全や安心をつくることが国の仕事だと思います。
またエネルギーにおいては、有限で地球温暖化の原因でもある石油等の地下資源や危険な原子力の利用ではなく、再生可能な自然エネルギーを中心とした、安全と安心をつくること。
経済においても、格差が広がり不安の広がった状況から、経済のやみくもな成長よりも、ひとり一人の幸福と公正を追究することに転換していくこと。
そして平和。アジアの一員として、憲法9条を語り合いながら、戦うのではない、非戦の外交をしていくこと。これらも国の仕事です。

「いのちを尊重する」ための仕事こそが国の仕事ではないでしょうか?
企業の利益のための仕事だけでなく、
経済的な利益を生まないけれど、しかし尊敬される仕事をできるのが、
憲法15条によって保障された、全体の奉仕者としての公務員の仕事だと思うのです。
かつて裁判を闘ってきた厚生省とは敵対した関係にありました。
しかし、対決するだけでなく、厚生労働省の人たちが何のために働いているのかと言えば、「いのち」を守る仕事だと思うのです。
その仕事ができるように後押ししていきたいと思っています。
もちろん厚生労働省だけではありません。
私を含むすべての公務員は、憲法の下「いのちを尊重する」ための、国の仕事にいそしんでいます。

一人で政治を変えられるとは思っていません。しかし、一人からはじまり、たくさんの人と力を合わせて政治を変えることができる。そう確信しています。
動けば変わる。生きるって楽しいと思える日本へ、みなさんとともにがんばります。

一緒にがんばりましょう。私もがんばります。